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お前(ら)に足りないものがある。 危機感だ
 

最近はハイパーインディーイベンター早瀬の家で飲むことが多い。どうでもいい話から立ち入った話まで様々だ。

ゲスな俗っぽい話に興味がないわけでないが、自分はやはりその手の話は好きになれない。というか楽しめない。そういう話は世間一般には需要の高いもののようだし(中吊り広告をみればわかること)、好きな人を卑下するわけではないが。好き嫌いに難癖をつけるつもりはない。

先日ライブハウスの打ち上げに行ったが、その日は特にそういう空気にあふれていて辟易とした。エンターティメントを含まないものは何を扱っていてもつまんないと自分は思うのである。

音楽サークルを大学生のお遊びだと馬鹿にするバンドマンは沢山いるし、自分も馬鹿にする気持ちはわかるが、バンドや音楽から離れたトピックに関してはそんなに両者に違いはないと思った。そうやってずっとくだらない優越感でも持って地下のハコに狭い世界を築いて篭っていればいいと思った。選民意識を持った阿呆にしか見えないぜ。自覚がないからより一層滑稽に見える。

バンドを所謂社会からの開放としてやることを否定をするつもりはない。50歳のおっさんがボーナスでゴルフクラブを買わずに、嫁にグチグチ言われながらもエリック・クラプトンモデルのストラトを買ってデレクアンドドミノスのコピーバンドを組んだっていい。どこにカッコ悪さがあろうか。自分ももしかしたらそうなってしまうかもしれないし、大学の最初の時点での選択が違えばレッチリのコピーに勤しみ、留年せずに卒業し就職と同時にラディックのスネアは埃を被っていたかもしれない。ただそれをカッコ悪いなんていうのは暴力的な考えだと思う。

発言にしろ行動にしろ、ある限定的なものにおいては、自分はそれらをに「資格」を求めてしまう傾向がある。あんまりよくないことだと思っているし、なによりその資格は一度失効すると取り戻せないことが多いと考えているのが一番の問題か。

過去の選択の果てに今の状況であったり人となりの形成があるはずなので、その責任を周りにおっかぶらせるのは褒められる態度ではないし、人を不快にするのは当然だろう。お上の言う「自己責任」はだいたい責任逃れだと思うが、個人のいう「社会(周囲の環境)の責任」はいいわけだと勝手に改造で言われていたことではあるまいか。数多ある選択肢を選んだのは自分自身だ。そこには責任を持っていきたいもんだ。

人間における意志というものをグダグダと考えていたら留年しそのことについて卒論を書いていたし、結果でなく真実を目指す意志の崇高さを描いたジョジョの5部が今でも大好きだが、悪意を持たずに人を傷つけることはあるし、そういった想像力を欠いた行いが結局一番邪悪なのかもしれない。人は誰しも目的として扱われたいのだ。自分がそうであるように、他人もそう思っている位の想像力は欲しいもんである。

腐ったものはどこでも腐ったものだ。納豆は腐っているのではなく(7月10日は納豆の日)、発酵しているのだ。自分は発酵していると思っていてもそれはただの腐ったものなのかもしれない。腐ったものには死を。それは報われていても、所詮は腐敗物なのだ。周りが鼻をつまんで手で扇いでいるのは何故かは、一寸考えてみればわかるはずじゃないだろうか。その他人の行動をみて腹を立てるのは、自分の異臭に気がつかない稲中の田辺と同じだろう。

たまには丁寧語以外で文をしたためてみる。具体的な対象を示さない独白もいいもんだ。ブログは基本酔っ払っているときに認めるから後で見直すようにするのだが、酔っても自分というやつはあんまりぶれないと再確認。段落で分けているところはそれぞれ独立していたり関係したりしているな。やはり自分は文章が下手だ。構成力もないな、と思った。

それでは今日はこの辺で
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